2013.07.15 Monday
浅野忠信と小藪千豊とブラマヨの二人と同じ1973年生まれが自慢のナオコリーナです。
しかし暑い。
友人たちの心意気も熱い。
サプライズ計画は私が怪しむずっと前から綿密に練られていたのだと思う。私の胸がざわつき出したのは、TROPEでのユッケのさりげない言葉からだった。
「オスギのママのお店行きたいな」
「13日はどう?」
「カナちゃんも来るでしょ?」
まるでユッケの独り言のようだった。何気ない顔で、自然で、さりげなかった。今思えば、あの時オスギとカナコ社長は若干モジモジしていた。二人がモジモジすることも、ユッケが独り言状態になるのも時々あるし、怪しむようなことではない。ただ、胸がざわついた。
少し遅れて待ち合わせ場所につくと、これまたさりげなくいつも通りかっこつけたユッケが待っていた。自然だった。私の胸騒ぎが勘違いであってほしい、でなきゃユッケは生粋の女優で、大嘘つきになってしまう。ふとオスギを見ると、イベント前の緊張感のある真剣な顔をしていた。きっとこの胸騒ぎが正解だったとしても、ライスのメンバーが後からやってくるのだろう、そう思っていた。
エレベーターを降りママのお店のドアの前につくと、若干まごまごした。オスギがユッケに先に入るよう即した。その声は頼りなく小さく気の毒な感じだった。ユッケがほんの一瞬、え、私?という目をした。生粋の名女優ユッケが初めて見せた怪しさ1000%の顔だった。
ユッケに続き店に入ろうとしたその時、カウンターの中の知らないホステスさんと目が合った。いらっしゃいませと言ったのその人は、いつもの綺麗なママとは別の、前髪の立ち上がったロングヘアーのこれまた綺麗なホステスさんだった。私の高校時代のヘアスタイルと同じだ。チェーンプリントのトップスには肩パットが入っている。その横に田舎から出てきたばかりのアルバイトっぽい娘がいた。いかにもお人好しそうな可愛らしい笑顔。花柄のトップスには同じく肩パットが入っていた。前髪は鶏のとさかのようにくるんとセットしてある。私の中学時代のヘアスタイルと同じだ。二人とも高い位置でベルトをしていた。
愕然とした。
小田島と石原だった。
おそるおそるボックス席を見るとみんなが笑っていた。ひげ君がビデオカメラを回していた。本気で一瞬スタードッキリマル秘報告かと思った。そして、お誕生日おめでとう!とクラッカーの音が炸裂し、私はユッケが大嘘つきだったという悲しみと、みんなが迎えてくれた喜びとが交差し、目の前のたくさんの笑顔がぼやけた。そう、不覚にもちょい泣きしてしまったのだ。もう一度カウンターのホステスさんたちを見ると、その80年代、90年代のファッションとヘアスタイルの完成度に仰天した。奥で本物のママが微笑んでいた。
気がつくとユッケは赤い蝶ネクタイと金髪のヅラを装着していた。どうやら司会をするようだ。ボックス席のからひときわ鋭い視線を光らせているたかせいがタイムキーパーに違いない。進行表片手に今世紀最大の演技派ユッケのマイクパフォーマンスでパーティーの幕が上がった。マイクを持つユッケはスティーブンタイラーの生き写しだった。
マル秘報告のひげ君、いつもステキなあやちゃん、本田編集長から贈る言葉とプレゼントを受け取りながら、人見知りで第一印象の悪い私が、花の都・大東京で生きてこられたのも、この人たちのお陰だと思うとまた目頭が熱くなった。カウンターにはママの美味しそうな手料理がブッフェスタイルで並んでいる。ママとチーママは忙しそうにしていたが、田舎から出てきたアルバイトはたばこをふかしてサボっていた。
ママ特製の美味しいチャー麺を食べながら、みんなの楽しそうな顔を眺めた。みんなが食べて飲んで騒いでいるのを眺めているだけで心が満たされた。欲の塊である私も、聖母のような気持ちになり、ひとりずつシャクティパットをしてあげたくなるほど愛が溢れた。
聖なる妄想にふけっていると、たかせいによる占いの舘ブースができていた。過去、現在、未来と私がひ引いたカードについて説明をしてくれた、というより説明用カンペをハキハキと読み上げた。あなたがピンとくるものを心にとめて、と言っておきながら、結果的にはたかせいが、これですね、と決めつけた。決めつけられるのは私を知っているということだ。室内なのに占い師たかせいは大きめのハットをかぶり、そのハット越しに私を見た。我は知っているぞ、という顔だった。先生に理解されている、とても心地がよかった。
たかせいマジうけると思っていると、照明が落ち、40本ものロウソクがささった大きなケーキがはこばれてきた。火事になりそうなほどの炎に照らされて、ケーキいっぱいに転写されたティアドロップのグラサン姿の私が浮かび上がった。驚いた、ケーキの中に自分がいて心底驚いた。そして、カナコ社長がバルーンと共にやって来た。私が欲しかったバルーン。海外ドラマに出てくるあのアルミのバルーン。そこには40thとプリントされていた。私は思った。みんなは私が40才になっても変わらず友でいてくれるのだ、と。何も変わらないんだ、と。そりゃ多少は、おい!!40才て!!と思っていると思う。でも一番そう思っているのは私自身だった。その不安を払拭するかのようにケーキは燃え、バルーンは40thという文字を堂々と掲げフワフワ揺れていた。
祝歌(カラオケ)のコーナーでは、歌うま選抜のワイン氏、中島、田村が美声を披露してくれた。田村のセレクトはTRFだった。そしてアルバイトホステスの石原と私も、伝説のガリガリナイトで歌った思い出の曲を久しぶに歌った。きっとあの頃と何も変わらない私たち。O型でひとりっ子同士の私たち。また目頭が熱くなった。
その後は怒濤のカラオケタイムに突入した。無理やり歌わされたわりにはきっちり期待に応えてくれたカナコ社長のボーイフレンド。サビ前に本田編集長が「くるよ!くる!くる!」と叫んだ、サッカーの時と同じだった。小田島にはもちろん尾崎をリクエストした。彼女と一緒に長いスカート引きずって中学時代を過ごせたらどんなに楽しかっただろうと心の中でつぶやいた。
ママからも暖かいメッセージと共に美しい薔薇をいただき感無量だった。明日天に召されるのではないか、それぐらいの幸福感だった。最後は少年時代を全員で円陣を組んで合唱した。みんな笑顔で肩を抱き合い揺れて熱唱した。暑かった。暑苦しかった。けっこう汗ばんだ私の肩に石原の手がおかれていて申し訳なかった。手が一番汗ばんだとこにあるよとシャウトしたが、だってしょうがないじゃない、と言われた。和田アキ子と返すしかなかった。やけになり汗ばんだワキをもう片方の中島に押し付けてやった。私たちはいつも異様だが、いつもに増して異様だった。最後まで円陣組んだまま歌い上げた自分たちに拍手していたら、おじさまの声が聞こえた。知らない間にカウンターに常連さんらしきおじさまがニコニコと笑顔で座っていた。お客さまのご来店にも気がつかないなんて。ドアを開けたらママまで円陣組んで歌っているスナックなんてない。さぞ異様だったことだろう。
私の好物をたくさん作ってくれたママ。
暑い中、尋常じゃない大荷物で来ていた小田島。
あんな痩せているのにあんなでっかいバルーンを持って来てくれたカナコ社長。
進行表まで作り段取りしてくれたみんな。
集まってくれたみんな。
そのすべての労力に感激したんです。
スピーチでは1パチで10箱出すなんてアホみたいなことを言ってしまったけれど、この場を借りて言いたい。素晴らしい仲間に出逢えたのはオスギのおかげで、ママに出逢えたのもオスギのママだったからで、カナコ社長の母上と出逢えたのも然り、オスギよ、ありがとう。そしてオスギを介して出逢ってくれたみなさん、本当に本当にありがとうございます!